Notes
Each time I reread it, I find new meaning…

モンゴルの詩歌にオリアンハイというひとつの世界がある。

 

 ゆったりとしたデールを纏い、凍てつく冷気に髭や髪を白く凍らせて歩く彼の姿は、ウランバートルの冬の情景を彩る。簡素な作りのモンゴル服を着て、照り付ける日差しの下、長い髪の隙間から細めた目で太陽を仰ぎ、後ろ手を組んで歩む彼の姿は、ウランバートルの夏の景色を常ならぬ思案深げなものに変える。そのような不思議な人物である。

 何事にも動じない豪胆のようでありながら、極めて繊細な詩を綴り、それに心震わせ涙を流す。悟りきったような穏やかさを醸しながら、一方ではおそろしく政治的で《独りきりの運動》を設立し体制批判の声を上げる。全てを知り尽くした哲学者の風情を漂わせ、そのくせ日常のごくありふれた事柄にも驚嘆の声を漏らす。かつてはモンゴルを代表する経済専門家のひとりでありながら、市場経済の綾を未だ理解できず嘆き歎じる。老人のようでいて、髪や髭の奥にのぞくその顔はひどく聡明で若々しい。仏教の教義への造詣が深く、その一方でイエスをも信奉する。そんな、謎のような世界である。

 年配者との会話はうまく噛み合わないことも多い。どんなに素晴らしい詩人であっても、その積み重ねられた年齢が、対話においてはかえって障害になりもするものだ・・・。日本語、モンゴル語の隔たりというのはここでは殆ど関係がない。その時、どうしたかわけか私は、この老詩人にあまり好ましい印象を受けなかった。内向的な人間というものはいるものだ。しかし彼は内向的どころか、閉ざされた人のように感じられた。彼が哲学者の息子であることを私は思い起こすべきであったのかもしれない。老詩人は、先端が筆のようになったペンで何かしら書き綴ると、英語で著わされたその印刷物が、本当に自分の詩であるか否かとまるで訝しむかのように長いこと見詰めた後、無言でその本を私に差し出した。高名な詩人であるためか、日本人の習慣であるお辞儀はない。私たちの一言もことばを交わさぬままの、簡潔に過ぎた出会いがそれだった。