Notes
Each time I reread it, I find new meaning…
谷川俊太郎氏にとっての、生きるということ…

 年配者との会話はうまく噛み合わないことも多い。どんなに素晴らしい詩人であっても、その積み重ねられた年齢が、対話においてはかえって障害になりもするものだ・・・。日本語、モンゴル語の隔たりというのはここでは殆ど関係がない。その時、どうしたかわけか私は、この老詩人にあまり好ましい印象を受けなかった。内向的な人間というものはいるものだ。しかし彼は内向的どころか、閉ざされた人のように感じられた。彼が哲学者の息子であることを私は思い起こすべきであったのかもしれない。老詩人は、先端が筆のようになったペンで何かしら書き綴ると、英語で著わされたその印刷物が、本当に自分の詩であるか否かとまるで訝しむかのように長いこと見詰めた後、無言でその本を私に差し出した。高名な詩人であるためか、日本人の習慣であるお辞儀はない。私たちの一言もことばを交わさぬままの、簡潔に過ぎた出会いがそれだった。

 

 アメリカで行われた彼の著書の出版イベントで、その名に“現在生存している最も偉大な詩人”と冠せられたのが正しかったことが、今になってよく解かる。例えば彼の「生きる」という詩を繰り返し読むことによって。詩を理解する最もよい方法である、翻訳することを通して。

2012.4.19

 

 

     「生きる」

            谷川俊太郎

 

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬がほえるということ

いま地球がまわっているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ